BetterCare

百人百色の介護 車椅子か歩行器か。
歩行器を選んだ私の判断にまちがいはなかった
 福岡県飯塚市/松本キクノさん(79歳)・友子さん(52歳)

  カリエスを患った妻を、夫が献身的介護


 先客との話が長引いている松本友子さんを待つ間、母、キクノさんの話はどんどん進んでいく。飯塚市議を務める友子さんは、3月の市議選での三選を目ざし、なにかと気ぜわしい日々だ。

「娘がこんなことばしょっとですから、なんかかんか電話が多いとですよ」と、キクノさんは電話番が自分の仕事だとの気概を見せる。実際のところ、めりはりある声音での的確な応答ぶりに、一瞬、訪問先をまちがえたのではないかとの錯覚に陥るほどだ。

 松本キクノさんは大正9年10月生まれ。太平洋戦争開戦の年に、佐賀県神崎郡の実家から飯塚市の夫のもとへ嫁いだ。戦後すぐに、力を合わせて割烹を開店。昭和22年2月、友子さんを出産する。もともと病弱だったというキクノさんは、出産直後、脊椎カリエス(骨関節結核)を患う。1年半ぐらいの入院生活も体験した。

 割烹店のほうは年々繁盛したが、自宅療養のキクノさんにできることといえば、ただ帳場に座って、お燗をつけたりするのが精一杯だったという。

「ちょっとカアちゃんば呼んでこんとね、とようご贔屓のお客さんが言わっしゃったとですが、身体がいうことききませんで、夫ば、すまない思いで、辛かでした」とキクノさんは回想する。

 一時は寝たきり状態であった妻に、夫は商いを続けながらも、献身的看護・介護を続け、徐々に快方に向かったという。

 物心がつくにしたがって、娘の友子さんは、父のこうした姿に強く引きつけられていく。

「風呂は夫婦で必ず一緒に入ってたですものね。母が父の背中を流すのは一度も見たことはないけど、父は母の身体を洗っていましたね。大の男の人にしてはすごいなーと、子ども心に思っていました」

 こうした子ども時代の父と母の織り成す光景の一コマ一コマが、今日の友子さんの「介護観」に、さらにいえば「生きざま」になんらかの影を落としたことは疑いないだろう。

  うつ病を患った母の病院探し

 昭和55年7月、平穏な松本家に突然、不幸が見舞う。友子さんの夫が、まだあどけない3歳と1歳の二人の子どもを残して、交通事故で逝ってしまったのである。

 キクノさんは幼子を抱えた娘の行く末を案じるうちに、抑うつ症状、不安・焦燥症状にとらわれ、睡眠障害が現れてくる。いまでいうところの「うつ病」である。

 当時はまだ「うつ病」ということばすらなかった時期のことで、的確な治療法も見いだせぬまま病院という病院を渡り歩くばかりだった。しかし、そのうち心療内科の権威に出会い、徐々に快方に向かっていった。ここ5年ぐらいは安定しているという。

  腰痛、膝痛の悪化で老健へ入所

松本キクノさん。松本家には白、黒2匹の猫がいる。白毛を「クロ」と呼び、黒毛を「シロ」と呼んでいるが、いつも正しく呼び分けているのはキクノさんだけ

 平成9年3月、病弱なキクノさんを支え続けながらも一代で割烹旅館にまで発展させた夫――友子さんにとっては二人の子どもたちの父親代わりだった父が、前立腺ガンで亡くなる。

 その一周忌を迎えたあたりから、キクノさんの持病でもあった腰痛、膝痛が極度に悪化し、目先のトイレに辿り着くのも難儀となり、ときには失禁することもあった。

 平成10年4月、二瀬病院老人保健施設に入所する。しかし、若いときから入退院を繰り返し、すっかり病院慣れしていたキクノさんにとっては、老健での入所生活はかなりショックだったらしい。

 病院ではそれぞれの病室に食事が運ばれてくるが、老健では食堂で皆と一緒に食事をする。まわりの入所者の姿に己をだぶらせて見ることに耐え難かったのかもしれない。

「私は最初から入所させるつもりの相談ではなかったのですが、容態からして1週間に2回ぐらいのデイケア通所ではどうにもならんでしょうと言われまして…老健内の生活は車椅子でと言われたのですが、車椅子は賛成しかねますので、たいへんご迷惑とは思いますが、歩行器でお願いしたいと申し上げまして、老健内はずっと歩行器で生活させました」

松本友子さん。飯塚市母子会副会長時代、女性たちの思いを身近に相談できる議員の必要性を説くうちに、成り行きで平成4年の市議選に初出馬、初当選。飯塚市議会初の女性議員誕生となった

 友子さんは、とにかく車椅子に依存した生活を恐れた。結果からすると、この時点での友子さんの判断は正しかったといえる。

 キクノさんの老健ショックが逆にプラスに作用したのか、キクノさん自身、リハビリ訓練に意欲的に取り組んでいった。周囲の入所者が100回するところを200回するとか、3項目のところを4項目こなすとか、その積極的姿勢は老健職員を驚かせるほどだった。効果は日を追って上がっていき、入所から半年後には退所。在宅で週2回のデイケア通所に切り替えた。

「デイケアに行くようになって、こんなに元気にさせてもらっています」とキクノさん。週に3日ぐらいは行きたいと残念がる。

「朝9時20分ころ迎えに来てもらって、血圧やらを測って、ちょっとお茶でも飲んで、リハビリに入ります。リハビリは休み休み1時間半ぐらいかけて階段の上り下りなど6科目ぐらい受けます。最後には電気で腰を温めてね。昼食を終えて1時半ころから3時ぐらいまでレクリエーション。カレンダーづくりやカラオケやいろいろあります。3時のおやつが出て、それで帰ってきます。風呂は自宅です」

 聞かずもがな、スラスラと1日の様子をしゃべってくれる。達者である。ほんとに楽しそうである。

  いまではデイケアが楽しくってたまらない


 市議という職業柄、自分の時間が制約される友子さんだが、自分の時間が取れるときには必ず母に付き添った。それが例え5分であっても、母とのとりとめもない会話を大切にしてきた。出張などで留守をするときは、娘たちが代役を務めたという。

 いまでもそれは続いている。デイケアで仲間とどんな話をしてきたかとか、まるで子どもが幼稚園から帰ってきたときのようだと友子さんは笑う。

 母親を慈しむ友子さんの想いは、自ずと「筑豊・飯塚」において、石炭産業を支える担い手として懸命に働いてきた高齢者への想いにつながる。

 市議会では「厚生文教委員会」に席を置く友子さんは、こうした高齢者が自らを素敵と思える、楽しい毎日が過ごしていけることを願っている。当面は介護保険の要介護認定にもれた人たちを見捨てない「生きがい対策」を強く求めていくつもりだ。

 友子さんは「団塊の世代」である。介護する最後の世代であり、介護されない最初の世代といわれているが、その点を尋ねてみたら、こんな返事がかえってきた。

「古いかもしれませんが、両親の介護は自分の手でしたいという思いがかねてから強くありました。じゃ、私が寝込んだときはどうなるのかというと、子どもたちにはしてもらいたくない。私のような思いは絶対させたくないですから」


● 飯塚市の介護環境



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